目を上げれば 詩編 121篇1節~2節(目を上げれば)(聖書の話29)

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。

(詩編 121篇1~2節)

今回の聖句が伝えているのは、視点の変換とその先に必ず見つかる希望への約束だ。
絶望の中にあって、閉じてしまった世界を動かし、そこから抜け出すためには、見ていなかったものに目を注ぐ必要がある。
うつむいてしまっている自分を奮い立たせて顔を上げ、やってくる助けを受け取る準備をしろと聖句は言う。そして、必ず、神からの助けは来るのだという強い信仰が感じ取れる。

それは、本当のことだろうか。どんなに望んでも助けがこない経験をした人も沢山いるのではないだろうか。しかし、同時に、何も状況は変わらないのに、自分の物事への見方が変わる事で、全てが解決したり、解決の糸口をつかむ経験をする事も事実だ。
わたしたちは、知らない間にうつむいてしまってはいないだろうか。何かにおびえて目を閉じたり、疑いの心で本当のことを見失ったりしてはいないだろうか。

目を上げよう。

それは、小さな変化かもしれないけれど、きっと、新しい発見があるように思う。「目を上げれば」という曲を書いた。今回は、その歌詞を紹介したいと思う。

「目を上げれば」

出来ない事ばかりで情けなくなってる 時間だけが過ぎてく
抱えきれないくせに強がりな僕は  助けて欲しい事を 本当に伝えようとしたかな

誰かがそばにいて 誰かと目が合って
笑い合える幸せに気付けば やがて全てはかわる

進まない毎日が嫌になってくる 約束は置き去りに
うまくいかない事に焦ってる僕を  取り囲むものは 本当に駄目な事ばかりかな

誰かがそばにいて 誰かと目が合って
愛し合える幸せに気付けば やがて全てはかわる

難しいことじゃない 沈む思い断ち切って 目を上げれば

今 君ががそばにいて 今 君と目が合って
笑い合える幸せに気付いて 確かに全てはかわる
誰かがそばにいて 誰かと目が合って
愛し合える幸せに気付けば 確かに全てはかわる