キリスト教の「愛」 コリント信徒への手紙 1 13章4節~7節(聖書の話5)

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

(コリント信徒への手紙 一 13章4節~7節)

今日の聖句は、非常に有名な箇所だ。「愛の讃歌」と言われるこの箇所は、キリスト者の愛の詩的表現として、不朽の名言だと言われている。そして、よく、キリスト教式の結婚式で引用される箇所でもある。そんな訳で、もしかすると、人生の中でみなさんが一番耳にする機会が多い聖句と言えるかもしれない。
これは私の先輩の先生がおっしゃっていたのだが、この聖句の「愛」の代わりに「自分」という言葉を入れて読んでみると、いかに自分が愛せていないかがよく分かるそうだ。

「自分は忍耐強い。自分は情け深い。ねたまない。自分は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」

いやいや、もう一言目で恥ずかしくて前に進めない感じだ。しかし、そうすると、私たちは、人を愛したことがないということになってしまうのだろうか。そんなことはない。やっぱり、愛した記憶もあれば、愛されたようにも思う。すると、ここに記されている愛は、普段、私たちが口にする愛とは少し違うものなのかもしれないという気がしてくる。

そんなことを思いながら「キリスト教の『愛』」について今回は調べてみた。

新約聖書はギリシャ語で書かれたが、今、わたしたちが日本語で読んでいる聖書で「愛」と訳されている言葉、キリスト教の愛は、当時のギリシャ世界にとって、全く新しい概念だったようだ。ギリシャ語にはいくつか、日本語で愛と訳される言葉がある。代表的なことばはエロース。プラトンが哲学することで深めていった概念とも言われるエロス、エロースは、私たちのよく知っている、恋愛に代表されるような、己の為に美を求める、熱狂的な愛情のことだ。そして、もう一つその対局というか、比較において分かりやすいフィリア。これは友情などに見られる、穏やかな感情。
ギリシャ世界に対して、キリストが、あるいはキリスト教が提示した愛はその二つとは全く違う概念だったと言える。

アガペーという言葉であらわされる愛。それが、今日の聖句が説明しょうとしている愛だ。それは、キリスト、イエスが生涯をかけて示した、神の愛のことだ。

神が、イエスを通して私たちに示した愛はまさにこのような愛だったのだとこの手紙を書いたパウロは証言している。アガペーを哲学書などで調べると「神から人間に下ってくる下降的愛」とある。エロースが求めて求めて奪って行く上昇的愛なのに対して、アガペーは与えていく愛ということになる。

エロース、フィリア、アガペー、そのどれもが日本語では愛と訳される。同じ言葉で訳されるのは、それらが非常に近い感情だからだろう。私たちが誰かを愛している愛を分析しても、そんなにキチンとどのギリシャ語の愛に相当するかを判断する事などできないだろう。むしろ渾然一体となった感情として愛しているのではないだろうか。奪いながら与えていたり、大切に思っているからこそ熱狂的になったり、かと思えば忍耐強く信じて待っていたり。上手く愛せていないと感じていても、不器用だとしても、愛するという言葉がぴったりと来る人との関わり方を私たちはイメージする事が出来る。そこにはエロースもフィリアもアガペーも含まれているような気がするのだ。

神から人間に下ってくる愛、あるいはキリストが私たちに示した愛。それは私たちと関係のないところにあるのではなく、私たちの関係の中に見え隠れしていると言える。神の愛は人を介して現れると私は思う。
冒頭で私は、こんな愛情は私の中にはないと語った。けれど、ないのではなく、不完全で分かりにくくなっているだけなのかもしれないとも思うのだ。そして、すぐ近くにこの愛情を感じることもある。例えば、子供に対する母親の愛情は、まさにこの聖句そのものだったりすると思うのだ。忍耐強く、情け深く、自分の利益を求めず、いらだたず、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えて、子供に接している母親を度々目にする。

私たちも瞬間的になら、無償の愛、与え続ける愛としてわき出してくる感情に身を任せられる事があるのではないか。けれど、それはいつの間にか、過度の期待を寄せてしまったり、依存してしまったり、見返りを期待してしまったりする愛情へと変わってしまうのだろう。そういう不完全な私たちに、この聖句は私たちの愛が目指すべき方向を示しているとも言える。誰かを大切に思う私たちの気持ちが、今日の聖句のようであるならば素晴らしいなあと思う。最後にもう一度この聖句を味わってみて欲しいと思う。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」