感謝、そしてお詫び

元号が変わる頃、古い友人から、僕のSNS上に今の僕に対する書き込みがあった。彼のその書き込みを巡って、まあまあなプチ炎上が僕の周辺のそこここで起こった。その書き込みは、一方的で断定的で少し乱暴な書き込みだった。

結果、僕のところにも個人的なメッセージがいくつも届き、彼の書き込みのコメント欄にも僕に対するいくつかのエールが書き込まれた。本当に幸せ者だと、自分の事を思う。多くの人に応援され、思い出してもらい、愛されている。

古い友人もまた友情から、僕へのアドバイスを送ってきたのだろう。ただ、友人なのだから、SNS上ではなく、直接メッセージを送ってくれればよかったのにとは思うのだが。まあ、残念に思われている事を残念に思う。

「友達だから、自分のことは棚上げし、無責任でも気づいたことを伝えたい」。そんなことはしょっ中ある。でもそれはプラベートな空間で許される行為だ。自分不在で他者に意見することの怖さを感じた。誰として、誰のために、どこで意見をするかは、きっと重要だ。

投稿を放置した結果、今の僕の表現活動に関わったり、それを大切にしてくれている人たちが、不愉快になり、気分が悪くなってしまうことになってしまった。本当に申し訳ない。

彼のアドバイスに気付きや自戒の念は湧いても、迷いは起こらなかった。それは、誰よりも僕が原田博行と向き合って生きているからであり、僕が原田博行を諦めていないからだ。だって本人だもの(笑)。原田博行と24時間一緒にいるのは僕であり、もがきながら前に進む。前がどこかも疑いながら、でも諦めずに原田博行を続けていく。

それぞれが、本来、自分とそうやって歩んで行くのだと思う。

そう、自分と歩んで行くのだ。

だから「原田と関わる自分」のことなら、僕以上に考えてくれている人も大勢いて、仕事のパートナーになったりする。そんな連中は、瞬間的に僕以上に僕のことを分かってくれているタイミングもあり、的確なアドバイスをもらうことも多い。有難い。そして、その愛すべき人たちのことを僕の方がちゃんと考えていなくて傷つける事も多々ある。横着でデリカシーなしで、いつもすいません(笑)。

自分と歩むことを諦めない者たちとの仕事は最高に楽しい。その連続の中に僕は生きてきた。本当に幸せなことだ。

「大切なのはその日1日を目一杯楽しく過ごすこと」。先日もらったお芝居での僕の役柄が発する言葉だ。でも、それは、本当はストイックな世界だ。怠惰による楽しさには限界があり、虚しさに勝てないからだ。楽しいのはサボっていないからだ。

こんな事を書くと「俺、頑張っています!」と書いているようでカッコ悪いなあ(笑)。

でも、やっぱり頑張って、今の僕が出来る最高のアルバム、最高のハラダイス、最高の表現活動に邁進します。

未来に起こることにワクワクしながら続けます!

感謝とお詫びをかねて。